小学生当時の本田の作文は、将来の夢ではなく予定
本田圭佑(29)氏が6年生のときに書いた『将来の夢』の作文は以下のような内容(抜粋)でした。
ぼくは大人になったら世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
世界一になるには世界一練習しないとダメだ。だから今ぼくはガンバっている。
今はヘタだけれどガンバって必ず世界一になる。
そして世界一になったら大金持ちになって親孝行する。
Wカップで有名になってぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリアAに入団します。
そしてレギュラーになって10番で活躍します。
一年間の給料は40億円はほしいです。
有言実行度が凄すぎます。
まず、セリアAに入団するということは、並大抵のことではありません。
これまでセリエAで活躍できた日本人選手は9名しかいません。(wikiより)
・三浦知良 – ジェノア (94-95)
・中田英寿 – ペルージャ (98-2000), ローマ (2000-01), パルマ (01-04), ボローニャ (2004), フィオレンティーナ (04-05)
・名波 浩 – ヴェネツィア (99-2000)
・中村俊輔 – レッジーナ (2002-2005)
・柳沢 敦 – サンプドリア (2003-2004), メッシーナ (2004-2006)
・小笠原満男 – メッシーナ (2006-2007)
・大黒将志 – トリノ (2006-2008)
・森本貴幸 – カターニア (2006-2011, 2012-2013), ノヴァーラ (2011-2012)
・長友佑都 – チェゼーナ (2010-2011), インテル (2011- )
現在、現役で活躍できているのは本田と長友だけ。
給料40億円という額もすごいですね。「40億円はほしい」という言い方をしているので、本人にとっては決して高い額ではないようです。
イタリアセリエA・ACミランへの移籍は2013年12月に決定しました。当時報じられた年棒は7億7000万円です。40億円とは少し開きがありますが、それでも億単位プレイヤー。小学生の頃のヨミもあながち的外れではありません。
また最近は得点に絡んだり、チームの勝利に貢献しているので、オプションを含めると年棒10億円くらいはいくかもしれません。
背番号は、移籍時に希望して10番に決まったそうです。
サッカーで10番とはエース番号。皆が欲しがる番号です。当然希望したからといって与えられるものではありません。
・セリエAに入団する
・背番号10で活躍する
・億円単位のプレイヤーになる
これらを全て小学生の時点で思い描き、実現しているのです。
まるで予知能力を持っているかのようです。
大きな夢も努力次第
本田はなぜこのような不可能とも思える夢を実現することができたのでしょうか。
まず、普通の人にとっては『夢』でも、彼にとっては『予定』にすぎなかったということ。
それは彼の育った環境も大きく影響していたと思われます。
大叔父にあたる本田大三郎氏は、1964年の東京オリンピックでカヌー競技の選手でした。
その息子の本田多聞氏は、オリンピック3大会連続出場のレスリング選手です。
本田にとって世界で戦うことは、決して珍しい事ではなかったのだと思います。世界で戦うために大切な事も、周囲から教えられていたはずです。
彼の作文にも「世界一努力しなければ、世界一にはなれない」と書いてあります。
将来の具体的なビジョンと、それを実現するために大切なものを、小学生の時点で理解していたのもすごいですね。
しかし、それは本田にとっては当然な事で、「小さいときから考え行動を開始しないと予定は実現できない」と分かっていたのだと思います。
プロの世界では小さいころから練習を始めることは決して珍しいことではありません。それはスポーツ以外でも言えることだと思います。
宇宙飛行士やパイロット、看護師や学校の先生や博士なども、小学生くらいから努力をすれば、より実現できる可能性が高くなるはずです。
まだ小学生ではなく、もう小学生です。
もしまだそういった話しをしていなければ、真剣に将来の夢を話し合ってみてはいかがでしょうか。
当然大人にしかできないサポートやアドバイスも多くあると思います。